2017年05月29日
こちらは「濯ぎ川」
毎日嫁と姑に追い使われる養子の男が主人公のお話です。
大蔵流の皆様で上演されました。
夫役 松本薫様(写真)
女房 鈴木実様
姑役 茂山千三郎様(写真)
以前も上演していただいたのを覚えております。
嫁姑の話はいつの時代も話題の尽きないものなのですね。
お客様からも場面に合わせ笑い声がこぼれてきました。
うれしいひと時です。
茂山先生のお話では
毎年新しい狂言も生まれてますが、時代背景色が色濃く出てしまい再演の機会がなかなかもてないとのことでした。
長く歴史を重ねてこれたのはどの時代でも民衆に支持されるものを演じてくることができたからこそだと・・・
石苔亭いしだが目指す姿も似ています。
社会環境に左右されず、人々が幸せな、贅沢な気分を味わいたい時に存在する宿でありたいということ
提供したいものは、質の高い時間と空間です。
木の年輪のように一度に大きく成長した木よりも、厳しい環境にも絶え、地道に少しづつ年輪を重ねる木のように強い体質の会社にしてゆく事が私が目指す経営です。
毎日会社への思いを何度も何度も自問自答することで、自分の中での考えや思いは日々確固たるものになっているように思うのですが
自分以外の人たちへそれを表現し伝えてゆこうとすると、なかなかうまくできません。
みな違うのですから、やり方を変え、相手に合わせ、伝え方を変え・・・
とやってみても、今度はそれがはたから見れば「言っていることが違う」ととらえられてしまうこともあります。
狂言のように表現ができたら、周りの人を惑わすことなく幸せの方向へ導けるのかもしれないと思うのですが、
こればかりはセンスと訓練が必要なのでしょう。
茂山先生が狂言を開設するときによくおっしゃいます。
何百年と続く中で狂言の「型」というものを大切にしてくるのだといいます。
理由や説明などではなく「型」から教えてゆくと・・・
私にも「型」というものを見見つけることができ、それをどんな場合でも変わることなく続けることができたら
旅館を幸せな方向へ導いてゆく事ができるのかもしれません。
また、時代の中で旅館もあり方が変わるように見えても
旅館の「型」というものを何か1つ、3つぐらい変えることなく続けて表現してゆく事が出来たら
その旅館は確実に「日本の文化」として位置でき、認められる価値を生み出すことができるかもしれません。
苦しい時も、豊かな時も、
至誠、分度、勤労、推譲
二宮金次郎の思想をお手本に精進してゆける道を選択できる強さを持ちたいと感じます。