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女将の日記

2019年09月16日

栗矢の無礼講

  • 栗矢の無礼講が始まりました。これから9月ままで石苔亭いしだの紫宸殿の宴は屋外へのご案内となります。秋に行われる村祭りは、秋の実りの感謝祭です。ここ栗矢で行われる感謝祭の特徴は無礼講と呼ばれていることです。今日は丁度鳥居ごしに、大きくてきれいな月が見えます。まるでおとぎの国の景色です。
  • 私たちが日常使う「無礼講」は、上司と部下が垣根を越えて、一杯飲みましょう。というような時に無礼講といいますよね。しかし、無礼講の語源といわれる意味は、神様と同じ場所で同じものを頂かさせてもらうことを無礼講といわれたそうです。そのため、栗矢の無礼講の流れは、奉納舞台を観賞していただくことではなく、お客様に共に村の感謝祭に参加していただく事。
  • 自然の恵みに感謝して、神様と共に栗矢神社での時間を分かち合い、神様や村民と共にお神酒やお料理をいただくことです。その体験こそが栗矢んp無礼講です。
  • お客様がお見えになる前から、栗矢地区の氏子の皆様が祭りの準備を始めてくださっています。これを9月末まで毎日です。自分たちで作られた竹灯篭に灯りをともし、足元がアブ名k無いようにライトをつけ、参列に来られる皆様の椅子を用意して・・・仕事が終わった後も、毎日個の準備をしてくださっています。
  • 誰にでも真似ができることか? と考えれば、そうたやすい事ではなりません。 いいえ、忙しい現代の中で、直接金品のうごかない事ができる人は本当に少ないでしょう。それがここ栗矢神舎では、10年以上続いているのです。私は今日、村の方々が真っ暗い中、神社を準備してくださっている姿を見た時
  • 本当に感動しました。そして、自然と素直な気持ちで頭が下がり感謝の気持ちで挨拶へと体も心も動きました。当たり前の行動なのに、とても自然で、川の水が流れるように、当たり前に心が流れる自分の動きと行動がとても心地よかったです。この気持ち、この流れ、これが普段から当たり前に表れることが素敵なことですよね。わかっていることですけれども、わかっていないのが私体の生活です。
  • 感謝する心、慈しむ心、感動する心、この心は日頃から意識して訓練が必要なんです。それぐらい、生きることが難しい時代になってきていると私は思っています。お客様をお迎えするときの第一声「いらっしゃいませ」この一言に、そのすべてが伝わるだけの意味があります。石苔亭いしだに集まる仲間たちには、その言葉にあらわされる深さを実感として、自分のものにしていただきたい。
  • 私もまだまだ未熟ですが、それでも石苔亭いしだで多くの人との関係を身を以て学ばせていただき20年。やっと自分の心に宿るようになってきたと感じています。「いらっしゃいませ」の一言に向ける心の覚悟のようなもの。皆に知っていただきたい、皆にも感じていただきたい。「感謝」「感動」という心の動きから、とても豊かな芽が広がることを。静かで、深く、透った自分を見つけることができることを。
  • 人はみんなそんな心を持っています。ただちょっと忙しくて忘れてしまているだけ。年に一度9月になったら、阿智村の栗矢神社へお出かけいただき、この参道を通り、懐かしい空間へ身を投じ、思い出してください。よみがえらせてください。自分の中にあるやさしい気持ちを。
  • 私の場合、自分自身を慈しむ心が思い出せると、当たり前のように周りのすべてのことが愛おしく感じられてくる。だって、今の自分の存在は、周りが存在するからですものね。周りがあって、閑居があって、世界があって、今の自分羽造られてきた。その中でどんなものに心を動かし、どんなものを選んできたのかによって、自分という中身の質が出来上がってくる。生かされているし、自分で選択してきている。